風越の教室に入ってみた 2022年12月24日

【第12回】フックをかける ~流動的なカリキュラムで学ぶということ~

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年12月24日

風越の教室に入って,2年半たちました

こんにちは,神戸大学の赤木和重です。風越学園の開校年度(2020年度)から,訪問させていただいて,2年半が過ぎようとしています。最近は,保護者の学習会にも呼んでいただけるようになったり,スタッフからも,子どものことなどで,ふらっと,お声かけいただくことが増えてきました。ときどきとはいえ,継続して訪問することで,つながりはじわじわと深まっていくなと感じています。ありがたいことです。
今回(11月1日~2日)の訪問でも,スタッフの方々といろいろと話ができました。私の専門(発達心理学)の関係で,子ども理解や子どもとのかかわりかたの話題が中心です。スタッフのお話を聞いて,あれこれ頭をひねりながら応答します。スタッフから教えてもらうことがほとんどですが,考えを深めたり,違う視点を持ってもらえれば,うれしい限りです。

あれ,なんか,自分がフシギ

そんな感じで,スタッフとあれこれ話をしながら,はたと気づいたことがあります。私が普段,公立の幼稚園や小学校で仕事するときと,コメントの内容が違うことに気づいたのです。真逆かも…と感じることさえでてきました。
どうなってんのワタクシ?と,自分に驚いています。フシギです。そこで,今回は,「普段とは違う逆方向のコメントをしてしまう」ことへの考察を通して,風越学園のありかたを考えます。内省的な話になってしまいますが,お付き合いくださいませ。

普段は,「枠をゆるめる」系のコメント

普段,保育園や小学校,特別支援学校に伺い,子どもの様子や授業を見て,先生がたと相談・助言する巡回相談という仕事をしています。助言の内容は,子どもの状態にもよるので,様々です。とはいえ,「枠をゆるめる」方向性は共通しています。
子どもたちのしんどさは,個々の子どもの発達や障害に規定されます。しかし,それ以上に,学校のルールや規律,時間割などの「枠」が,強く,硬直化している影響が強いです。例えば,みなで同じ姿勢を求めるような過度に画一化した規律のために,学校や教室をしんどく思う子どもたちがいます。
そこで,「枠」をゆるめられるアドバイスを意識します。ほんのちょっとしたことです。でも,それがいいのです。まじめな小学2年生の子どもが,水を飲み忘れて,授業時間の最初に,こっそり(先生にはバレバレですが),水筒を取りにロッカーに行ったことがありました。この行動を,「規範からの逸脱」としてみるのではなく,「ルールはわかりつつも,ちょっと自分を出せることができてきましたねぇ」と,子どもの成長を共有するようなアドバイスをします。

風越学園では,「枠をつくる」系のコメント

しかし,風越学園では,「枠」をゆるめる系のコメントになりにくいです。逆に,「枠をつくったほうがいいですよね」的なコメントをすることもあります。特に昨年度の後半から,そういうコメントが増えてきたように,感じています(今,思うとですが)。
今回の訪問での象徴的な例として2つあげます。1つは,「一斉授業を部分的に導入したほうがいいかも」とコメントしたことです。あれ??? そもそも風越に来たのは,画一的な一斉授業とは違う授業のありかたを知りたくて来たにも,かかわらず,です。なんということでしょう・・・
2つは,子ども1人1人が持っているノートパソコンの件です。開校年次は,3年生からノートパソコンを持っていました。ただ,ノートパソコンを別の用途,もっといえば,ゲームなどに熱中しすぎる子どもや時間帯が増えてきてしまい,3,4年生は,限定的な使用になっています。最近も,スタッフ間では来年度,ノートパソコンの扱いをどうするかについて話し合っておられました。とあるスタッフと,この件で,立ち話をしていたのですが,私の口から出たのは,「3,4年生にノートパソコンを無理して渡さなくてもいいんじゃないでしょうか」という発言。「おい!おれ!めっちゃ制限かけてるやん!」と自分に突っ込んでしまいたくなります。

なんで,こうなるの? 

なぜ,真逆になるのでしょう。風越学園には,そもそも守らなければいけないルールや規範といった「枠」が,一般的な学校に比べて,とても少ないです。例えば,「全員,体操服のシャツはズボンにイン」「靴下は白色,ワンポイントのみOK」といったルールは,風越学園にはありません。そもそも体操服がありませんし,服装に関する規定はありません。茶髪の子もいますし,そもそも茶髪自体が気にしない・されない雰囲気です。子どもが,緑色のモヒカンにして登校してくれば,さすがに学校内で話題にはなるでしょう。でも,問題にはならないでしょう。服装だけではありません。学校内での活動についても同様です。真冬にキャンプをしたり,敷地に穴をほって井戸をつくろうというプロジェクトが,息を吸うように存在している学校です。「~してはいけない」という「枠」はかなり緩いです。
カリキュラムについても同様です。学級集団や時間割,授業内容といったカリキュラムの固定的な「枠」がそれほどはありません。朝の集まりは異年齢集団で,その後は,2学年での学び,そのあとには,同学年でのプロジェクトと学習の集団が流動的であり,教科内容も教科書に沿って行うというような既定に沿った枠がありません。当然,学習する場所も,1日のなかでもコロコロ変わります。様々な側面で,枠がなかったり,枠が緩いです。

このような自由な雰囲気やカリキュラムは,とても大事だと思います。だからこそ,私は風越学園をたびたび訪問しています。しかし,一方で,「枠」がゆるく,自由だからこそ,結果として,戸惑う子どもたちも出てきています。具体的には,学びに向かいにくい子どもたちが一定数,見られます。授業に参加しない子どもたちもでてきています(急いで断っておきますが,授業に参加しないことそのものを問題視していません。参加しづらい子どもたちのしんどさを考えたいのです)。このような問題意識は,私だけではなく,少なくないスタッフももっています。例えば,スタッフのさやさんが,かぜのーとの記事において,「探究や自由進度のような今の風越の学び方は、選択肢や自分で決める範囲が多いという理由で、難しさを感じやすい子がいること」「流動的な環境(場、スタッフ、子どもの集団)が落ち着かず、活動への参加が難しい子が出てきたこと」という指摘とも共通します。

「枠をつくる」に回帰しない

学びに向かいにくい子どもが出てくると,学校として,「枠」をつくる方向性に行きがちです。先の私のコメントに象徴されますし,実際,風越学園のカリキュラム見ても,異年齢の学びが減少する傾向にあります。また,土台の学びが増えてくる学年もあります。
同時に,このような方向性に逡巡するのも事実です。枠をどんどん作っていけば,結局,「普通の学校」に戻ってしまうのではないか,と。もちろん,それは一概に悪いことだとは思いません。ただ,「教えにくい」「学びにくい」状況があるから,「じゃあ枠をつくりましょう」では,一般的な学校教育とは異なるかたちを構想していた風越学園の理念と,矛盾する気がします。風越学園の理念は,以下にある通りです。

私たちは、講義中心の一斉授業・画一的なカリキュラム・固定的な学級編成等に代表されるような従来型の学校教育に限界を感じている一方で、子ども自身と公教育の可能性を信じています。自分はどんなことに幸せを感じるのだろうか、また自分以外の一緒に生活する仲間や生き物・自然を含めて、幸せになるってどういうことだろうか、と考え続けてもらいたいという願いがあります。

この理念を念頭におけば,「枠をつくって戻す」とは違う形の対応を考える必要があります。

「枠をつくる」から「フックをかける」へ

では,どうすればいいのでしょうか。現時点では,「フックをかける」という用語が,糸口になると考えています。「フックをかける」とは,スタッフが最近,使う言葉で,それをお借りしました。枠がない流動的なカリキュラムのなかに,自分をうまくひっかけるように学びをつくるというものです。言い換えれば,枠がないカリキュラムでも,フックがうまくひっかかることで流動性に流されすぎずに学べるのではないか,ということでもあります。「フックをかける」というイメージを共有することで,「同年齢学級」「ルールを明確に決める・強める」という従来の形に回帰することなく,それぞれの子どもが学びを深めることができるのではないかと感じています。

そして,そのフックがかかるのは,なにより,その子が好きなことから出発するということ。具体的な実践をあげましょう。小学校5年生のたいくんへの実践についてです。たいくんは,学びに向かいにくい姿が続いていました。理由の1つとして,本人のもつ特性と,風越学園のカリキュラムや環境とがかみあわない部分があったためです。校舎内を自由に歩いたり,スタッフのいるオフィス(職員室のようなオープンスペース)にきて,特定のスタッフと話しこむことが続きました。それで本人が楽しんでいればいいのですが,そうともいいきれない姿がありました。実際,家庭では「風越,つまんない」とも言っているとのこと。
このような状況になると,「教室で,まずは,ドリルを1枚やることを習慣づけましょう。1枚ドリルを達成すれば,遊んでいいですよ」といった対応になりがちです。つまり,「枠をつくる」方向になりがちです。もちろん,このような対応が一概に悪いとはいえません。実際,必要なときも多いでしょう。1日の見通しをわかりやすく示すなどの取り組みは必要になると思います。
ただ,これだけでは「何か違う」という気がするのですよね。風越学園らしくないというか…。なにより,たいくん自身が,このような対応を望んでいるようにも思えないのです。(私の思う)風越らしさは,徹底して子どもの「好き」「やりたい」をフックにしていくところのはずです。もちろん,それは簡単なことではないけども…。

モヤモヤしていたときに,スタッフが,「たいくんは,スタッフの手伝い好きだよね。掃除とか一緒に積極的にしてるし。たいくんも『スタッフになりたい』って言ってる」と伺いました。おそらく,特定のスタッフとかかわるなかで,スタッフの動きが見えてきて,どこかあこがれがあったのでしょう。この発言をきっかけに,「ミニスタッフで働いてもらうのがいいかも!」となりました。フックがかかった瞬間です。一気に話しあいは進み,実践が動き出しました。

ミニスタッフとして,「かぜのランチ」の放送係を任せたり,そうじに取り組みがはじまりました。スタッフ用の名札もつくります。写真のように,たいくんは,とてもはりきって活動するようになりました。「ミニスタッフファイル」を作成し,ポイント制を導入するなどして,継続したくなる仕組みもつくります。

いや~,いい顔,いい後ろ姿ですね。そして,これが「お手伝い」で終わらないのが,風越の「風越らしい」ところです。この「ミニスタッフ」の取り組みが,12月9日のアウトプットデイに結実します。5,6年生のテーマプロジェクトは,「道具〜わたしが大切にしたいモノ〜」でした。そこで,たいくんは,なんと! ほうきを制作し,それについて発表したのです。写真にもあるように,「さわりごごちがよい」「かた手でもちやすい」と書かれています。実際に,自分で掃除をしたからこそでてくる実感のある言葉です。実際に持たせてもらいましたが,確かに,手ざわりがよくて使いたくなる道具になりました。

もちろん,課題もあります。たいくん自身は,ミニスタッフのとりくみに対して,やる気が少しおちていることもあるようですし,算数や国語については,彼なりに取り組んでいるものの,十二分に参加しているとはいえない状況もあります。
いくつか課題はありますが,それでも,たいくんへの取り組みは,1つのヒントを与えてくれます。流動性の高いカリキュラムのなかでも,普通のカリキュラムに回帰することのない学びのかたちです。そして,それは実は,結構シンプルかもしれません。まずは,子どもの「好き」「やりたい」気持ちを出発点に充実させる。そして,その充実が,カリキュラムにひっかかりをつくり,風越学園のなかで学びが動いていくというプロセスです。もちろん,今回の話はあくまで仮説です。3年間のそれぞれの子どもの学びの履歴を確認していくことで,より確かな方向性が見えてくるだろうと思います。

#2022 #赤木和重

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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