風越の教室に入ってみた 2020年10月9日

【第3回】風越が子どものネットを禁止したってよ:自由を広げるための制限!?

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2020年10月9日

こんにちは、神戸大学の赤木和重です。

浦島太郎状態

9月2日,3日と風越学園を訪問しました。7月に伺ったときから,時間割や科目の名称,先生の動き方などが大きく変わっていて,「あれ?どうなってるの?」と浦島太郎状態でした。何度もスタッフや子どもに聞いたりして,少しずつシステムがわかってきます。例えば,「セルフビルド」(自分のやりたいプロジェクトに各自が取り組む活動)時間を午前中に移動させたり,クラス担任(風越では「ホームのスタッフ」という)が,「セルフビルド」の時,子どもを担当しません。別のホームのスタッフが「パートナー」として担当(伴走)します。
たった2か月足らずで浦島太郎状態です。カリキュラムを変更するスピードの速さに驚きます。

なぜ,ここまで迅速にカリキュラムを変更できるのでしょう?

「できる!リーダーの決断力!」みたいなフレーズを,つい思いうかべたくなります。もちろん,管理職の決断が速いこともあるでしょう。しかし,それだけではないはずです。というのも,どのスタッフ(教職員)も,クセが相当強く(笑),管理職の独断で決めることは,一般的な学校以上に無理です。管理職の発案だとしても,そこには一定の説得力が必要です。

そして,その根拠に,子どもたちの事実が大事にされています。プロジェクトを深めきれない時間割になっていたり,ホームの担任だけでは関係が広がらないという姿を共通認識としていたからです。

ネットすごい。YouTubeおそるべし

このように様々な変更がなされてたのですが,そのなかでも特に印象に残ったのが,子どもたちのネット使用がお昼休みに禁止された件です。

ただ,読者の方には,そもそも「子どもがネット使用?はて?」と思われるかたもいるかと思います。そのあたりの事情を説明します。風越学園に在籍する小学校3年生から中学校1年生までのいわゆる「後期クラス」の子どもたちは,1人1台,ノートパソコンを常時,持参して学習に参加しています。例えば,自分の図鑑を調べたり,その日の振り返りを書いたり,みんなに「~に森プロジェクトがあるので来てね~」と呼びかけたりすることに使います。筆記用具みたいなものです。

小学生の子も,普通にノートパソコンを使いこなしています。宿題に取り組んだり,SNSのようにして校内の友達とやりとりしたり…。ノートパソコンは風越学園の授業には欠かせないものです。

しかし,モヤモヤを感じたのも事実です。7月に参加したときに感じたのですが,パソコンが,お勉強以外に使われることもおおかったのです。端的にいえば,ネットでYouTubeをみたり,ゲームをするなどです。特に昼休みは,思い思いにノートパソコンを開き,YouTubeやゲームをする子どもが結構いました。

校舎の前には,広大な自然が広がっているにもかかわらず,外で遊んでいる子ども(とくに後期クラスとよばれる3年生以降の子ども)は,ほとんどいませんでした。また昼休み以外の隙間時間でも,YouTubeやネットゲームをする子どもたちもいました。この事実は,当然,スタッフも気になっているようで,いろいろと議論が行われていました。

ネット接続禁止令。その当日

そして,私が風越を訪問した9月2日に,とうとう「お昼休みはネット接続を遮断する」というネット禁止令が言い渡されました!

当日,後期の子どもたちが,全員集まりました。それぞれのプロジェクトに分かれるまえに,ネット担当のスタッフ・ざっきーさんが,昼休みにネット接続を禁止する方向を子どもたちに伝えます。

単純に「ダメなものはダメ」ではなく,写真の文言にあるように禁止の理由を丁寧に説明したうえで,昼休みにネット接続禁止の旨が出されました。

私は正直ドキドキです。子どもたちのリアクションが気になりました。「子どもの意見をなぜ聞かないのだー!」とか「昼休みにノートパソコンを使った学習ができないだろー!」という反論が出てきて紛糾するのではないかと恐れたからです。

淡々と受け入れる子どもたち

ところが,意外に子どもたちは,淡々と聞いていました。反論はもちろんのこと,「え~~~」みたいなリアクションもありませんでした。ざっきーさんのお話のあと,何事もなかったかのように,それぞれのプロジェクトがはじまっていきました。

「え?まじ?」と拍子抜けする私。早速,その日の昼休みに一部の子どもたちに,ネット禁止について尋ねてみました。すると,私の下心が見え見えだったのか,「やっぱりネットばかり見てたらダメだと思う」という優等生な答えが返ってきました。まさにその通り!

…なのですが,その5分後,舌の根も乾かぬうちに,子どもたちは,YouTubeで,バスケットボールの名プレー集を「お,すごい」とか言ってみています。。

めっちゃ速攻で見てるやーーーーーーーーん!

YouTube,おそるべし…。

まぁ,でも,子どもの気持ちはわかります。私も,わが子と一緒に「ぐっちの部屋(ミラクルぐっち)」とかゲーム実況中継系を見るのが大好きです。ぐっちさんのノーテンキな笑い声がサイコーです。それに仕事に行き詰ったとき,調べ物をしているはずなのに,いつの間にか「ミラクルひかるチャンネル」を見ていることがしばしばあります。ミラクルさんの工藤静香のものまねを見すぎて,本物の工藤静香では満足できなくなってしまいました。

もっと厳しく指導すればいいのでは?

つい脱線してしまいました…。本題の「ネット接続禁止」の話に戻りましょう。

もしかすると,多くの読者(とくに学校の先生)は,「最初から,お昼はネット接続なんて止めたらいいやん」「『遊びでネット使うのは禁止。破ったら厳しく注意の上,パソコン召し上げ』みたいに強い対応を取ったらええやん」と思われるかもしれません。確かに,風越のやり方はまどろっこしいようにも思えます。
お昼休みにネットを使う傾向は,対面授業がはじまってからすぐに見られていたわけですから。対応がまどろっこしいといえば,まどろっこしいです。

でも,このまどろこっしさにこそ,風越の理念があらわれています。風越学園は,子どもの「したい」「やりたい」を大事にしています。それは,これまでの「かぜのーと」のいくつかの記事(例えば以下の記事)によくあらわれています。

「イベントは好きだけど、それだけじゃ日常にはならない。」コウタロウ 

このような理念を大事にすれば,大人の価値基準で,子どもの自発的な行動を頭から制限するわけにはいきません。それに,そもそも,本当にネットがダメともいえません。YouTubeに没頭することで,子どもたちは何かをつくりあげることだって,あります。大人の独善的な判断で教育することの危険性を,風越のスタッフたちはだれよりもわかっています。

だからこそ,お昼休みのネットを制限することに,慎重だったのでしょう。

子どもの「したい」を制限していいのか?

「じゃあ,なんで,結局,ネット制限したの?」「子どもの『したい』『やりたい』を大事にするんだったら,子どもの自由にさせたらええやん」という声が聞こえてきそうです。確かに…。

「自由自由」と言いながら,最後は大人の思いが都合よく優先されているような気がします。矛盾しているのでは?

……ということで,ネット禁止を説明したざっきーさんに,矛盾があるのではないか尋ねてみました。

すると…ざっきーさん,「矛盾はありません」とキッパリ。

お,お…おぉぅ…ええ?そうなの?と思い,突っ込んで聞いてみました。すると,ざっきーさんは次のように語られました。

「自分でコントロールできている状態ではないから。今の子どもたちの様子を見る限り『したい』『やりたい』感じではない。」とのこと。例えば,トイレにノートパソコンを持ち込んだり,5分ごとにYouTuberの更新がないかチェックしたりする姿は,「誰かの目的に消費されている状態に見える」とのこと。つまり,子どもの「したい」ではないという判断でした。

確かに,最初は「やりたく」てやっていることでも,途中から,何のためにやっているかわからなくて,主体が自分から動画やゲームにうつっていることも多いと思います。ドラゴンクエストの経験値集めとか,ホントになぜやっているのか自分でもわからない状態になることがあります。

子どもの反発がそれほどなかったのも,このような「やりたくてやってる」状況と違っていたからでしょう。

実際,1か月後(9月30日—10月1日)に訪問したときには,この写真のように,多くの子どもが,お昼休み,ノートパソコンを手放して,外で遊んだり,ゆっくりお弁当を食べながら,友達とたわいもない雑談をして時間を過ごしていました。

自由な学校ではなく,自由になるための学校

今回の件は,ネット接続の問題であると同時に,風越の教育の特徴を考えるうえで象徴的なエピソードです。なぜなら,ネット接続は,子どもの「自由」にまつわる案件だからです。

風越学園に限らず,オルタナティブな学校は,子どもの「自由」を大事にします。あるオルタナティブな学校では,子どものやることを徹底的に尊重し,基本何をやってもいい,というところもあります。また,時間割がまったくなく自分の好きなことをやりつづけてもよいという学校もあります。

風越学園も,子どもの自由をとても大事にしています。しかし,風越の「自由」は,「自由気まま」ではありません。もしそうであれば,「ネット禁止」という制限はとらないはずです。風越は「自由な学校」ではありません。「自由になるための学校」です。
…あ,ちょっといま,ドヤ顔で書いてしまいましたが,私のオリジナルではありません。「自由になるための学校」という表現は,ざっきーさんや他のスタッフ,子どもたちも使う「風越ワード」の1つです。

「自由になる」という言葉は,私なりにいいかえれば「自分でも知らない自分の可能性をみつけていこうとする」「他の選択肢を見つける・広げようととする」ことです。

そう考えた場合,ネット接続にがんじがらめにからめとられている状態は,他の過ごし方へのひろがりがなく,自由が狭められているともいえます。自由気ままな状態は,えてして,関心や行動が固定化し,結果として,自由でなくなっていきます。

ネットやYouTubeが悪いとは全く思いません。ミラクルひかるの悪意スレスレのものまねに救われることがあります。ぐっちさんの笑い声を聞けばいろいろなことがどうでもよくなり寛大な自分になれます。ネットやYouTubeが悪いわけではありません。そうではなく,他の選択肢をもたないまま自覚なく「それだけ」になることで,自分の可能性,つまり自由を狭めてしまうことが問題なのです。

友達と雑談するなかで自分とは違う考えを知ることがあります。友達の悩みを聞くことで,自分の悩みは自分だけのものでないと気づくことがあります。一緒にサッカーをすることで,けんかをして仲直りしてまたけんかして仲直りして,いつの間にか親密になることがあります。木登りをしてみると,意外に自分の才能に気づくことがあります。

子どもが「したい」を発見し,自由になっていくためのネット禁止という制限がなされたのだと思います。だからざっきーさんが言うように,ネットを制限することは,風越の「したい」を大事にすることとまったく矛盾しません。

教育とは子どもの自由が広がる手助けである

「教育とは,大人の言うことを守らせることではなく,かといって,子どもを自由気ままにさせることでもない。そうではなく,子どもの自由を広げていく手助けである」と言えるよなぁ,と思えてきます。

つい私たちは,「子どもの好きにさせるか,させないか」といった悩みかたをしてしまいがちです。しかし,今回のエピソードからは,「子どもが自由を広げていけるか」という悩み方が大事なことがわかります。そう考えれば,子どもが自由を広げるためには,一定の枠組みやルールというものが必要なときもあることがわかります。

そもそも,ルールとは子どもを縛るものではなく,子どもの自由が広がる補助線として理解すべきものかもしれませんね。

#2020 #出願前おすすめ記事 #赤木和重

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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