この地とつながる 2026年1月23日

田畑ごよみ -秋-

斉土 美和子
投稿者 | 斉土 美和子

2026年1月23日

幼稚園の園だより「こどものじかん」より、「田畑ごよみ」として綴っているコラムをまとめてお届けします。


秋の田んぼの仕事と周りにある生命 -10月-

9月末に田んぼで稲刈りが出来て、その後ハゼ掛けしたお米を2週間ほど干してお日様においしくしてもらっていました。ハゼ棒に逆さまに吊るしておくと稲の茎の甘みが稲穂の実にじんわり降りてきて、お米が美味しくなるそうです。昔の人の知恵って本当にすごい。その次はいよいよよく乾いたお米を稲穂から外す脱穀、稲こきです。これには昭和初期の「足踏み脱穀機」という道具を使っています。現代の稲こき機コンバインを使うとあっという間なのですが、足で踏む動力で動くこの機械を使うとお米を飛ばす面白さや、自分の身体を使って仕事ができる実感を子ども自身が感じられる気がします。

やっとのことで飛ばしたお米を拾い集めて、今度は瓶の中のお米を棒で突いたり、すり鉢に野球のボールを擦り付けてお米の籾摺り作業。お米が食べられる状態になるまであとひと息です。ここまで長かったなあ。さらに子どもたちは春からのここでの仕事を振り返りながら、羊たちの糞の堆肥を田んぼへ運んだり、長らく働いてくれたカカシをありがとうと燃やしたり、田んぼ仕舞いの仕事もしてきました。

朝晩急に涼しくなったこの頃、田んぼへ向かう森や道路にはついこの間までは生きていたいろいろな生き物が、静かに横たわっている姿に出会います。その姿をとどめているものもあれば身体の一部分だけのものも。大きなカブトムシの角、透き通ったセミの羽根、この日も頭の一部が潰れている小さなヘビや、道路でぺしゃんこになっているカエルにも出会いました。「ヘビの頭を誰かが食べたのかも。」とソウ。モトアツ「鳥とかが突っついて頭とれちゃったのかな。鳥が食べたらヘビが役に立ってる。」ソウ「でも(小さいから)赤ちゃんかも。」モトアツ「赤ちゃんならちょっとかわいそうかー。」

道路で潰れていたカエルの前では、ケンセイ「車が多すぎる。カエルきっといっぱい車が通って潰れたから。車がいなくなっちゃえばいい。」モトアツ「車ないと困るじゃん、学校行く時とか。」ケンセイ(カエルがかわいそうと怒りモード)「車なくても歩けるじゃん!俺たちこんなに歩いてるんだから歩けるでしょ、車多すぎるんだよ。」一同黙って潰れたカエルをしばしじーっと黙って見ている。モトアツ「このカエルも鳥とかが食べるかも、ここにいたら。」 ソウ「鳥が見つけてくれるといいね、あ、あそこにいる。」空を見上げるみんな、そこにはシーンとした時間が流れていました。

田んぼでは春から秋までお米を育て、子どもたちは田んぼの仕事をすることで美味しいご飯が出来るまでの過程を体感しています。さらに田んぼへの道中や田畑の周りでは偶発的な出会いがあり、なんでだろう、どうして?と探究のきっかけになる出来事もよく起こります。田んぼに行く道すがら、こっちからも行けるかも?と薮の中を手を傷だらけにして道を作って進んだり崖を登ってみたり、そこでこれなんだろう?わーきれい!と見つけたり拾ったり、こんなところに何かいる!と生き物や生命を終えたものとの色々な出会いもありました。

季節が移ろううちに私たちの暮らしのなかで生き物の生命が巡りめぐって、その自然の恵みをいただくことでまた私たちの生命も続いていく。子どもたちは食べるものを作る田んぼという場での様々な出会いを通して、そんな生命の循環の一端を少しずつ感じとっている様子です。


そのプロセスにかかわるということ-11月-

いよいよ信州らしい朝きーんと澄んだ空気の季節になりました。スープの日に風越の畑でとれたさつまいもやカブをお味噌汁にしたり、お誕生日お祝いに収穫した小豆で甘いお汁粉団子を煮込んだり、温かい食べ物がおいしい季節でもありますね。

朝キッチンからまな板やボウルを運んでいると「今日はお料理する?」と必ず誰かが声をかけてくれます。野菜洗うよ、玉ねぎの皮剥こうか?包丁で切るのやりたい!それぞれやりたい作業を考えて、手を洗ってから仕事が始まります。このカブ根っこがこんなに長ーい!大根へんな形に切れた!大根の皮ってラッキー食べる?ちょっと虫が食べた小豆ってきっと美味しいってことだからあんこにしたら美味しいかもよ…。手を動かしながらも気付いたこと、発見したことがたくさんやりとりされています。

サヤ「大根の皮むいたのラッキーにあげに行こう。」「少しなら大丈夫だけどいっぱい食べるとお腹痛くなっちゃうんだ。ヒロ「じゃあちょっと食べてみよう。」とラッキーじゃなく自分たちでかじってみたものの、ジンタロウ「辛っ!皮は辛い、ラッキー辛くないのかな。」お漬物にしたら辛くなくなるかも、作ってみる?やってみよう!皮を小さく切ってお醤油と酢と黒砂糖に漬けて明日になると美味しくなっていると思うよ、と話しているのに、味付けした側からもう辛くないよーとジンちゃんはすでにパクパク。大根の葉っぱはジャコと炒めてふりかけにして、お汁の他にもう2品できた!

お鍋グツグツしたいから誰か焚き火を点けてくれないかなーと呟いていると、いいよ!と火つけがブームの年中さんたち。いつも俺今日はマッチ3本目でついた、とか今日は俺がつけた火でみんなの弁当あったまってる、とかみんなこのところ「俺が!」感がすごいです。この日はたまたま、ユウホ「火が赤ちゃんだったのにもう大人の火になったー。」(小さな火が大きくなった)と、今日のは俺のマッチの火だから!とお昼を食べる人たちにも鼻を膨らませながら話していましたっけ。

温かいお昼を配り始めているとアン「この変な形の大根アンちゃん切ったやつかも。」とか、タキ「この平べったい豆腐はオレ切ったのだ。」と、それぞれ調理していた光景を思い浮かべながら、いつもはちょっと苦手な食材も食べられることがあります。私が切った野菜をみんなが食べてくれている、とか、僕のマッチで点けた火でお味噌汁が美味しくできた、などそのプロセスにかかわっていることで興味が湧いたり食べられるようになったりということが日々たくさん起きています。

みんなの畑の野菜や田んぼのお米は、それを育てる過程を見たり仕事で手を動かしたりしてきたわけで、仲間と一緒においしく食べる思いもひと塩。収穫祭の「ありがとうの会」でいただいたご飯やお漬物も、前日に田んぼでお米を研いだりカブや大根を切ったりと準備した時間があったので、アキト「根っこが長ーい赤カブあったよ。」マシロ「お米ぐるぐるするのお水冷たかったけどおいしいご飯になったねえ。」と準備しながら、お父さんお母さんにも食べていただくことをうれしく誇らしげに話していました。

寒くなると身体は縮こまりがちですが、焚き火を囲んで温かいものをほっこりいただく時間をこの寒い季節ならではと楽しみにしていきたいです。

土の手ざわり-12月-

学園のグラウンドの奥に、子どもたちが「サラ砂(さらすな)工場」と呼ぶ場所がある。そこには森の近くではあまり見ない、黄土色のサラサラとした土が採れる地層がある。特に泥団子を作る時には、湿り気のある黒土を丸めた外側にそこの黄色い土をふるいでふるったサラサラの粉のような土をまぶすときれいなお団子ができるようで、鍋やお皿のままごと道具を持った子どもたちがよく座り込んでは手を動かしている。その周辺ではお団子屋さんが始まったり、美味しそうなものが作れるからか猫カフェや家族ごっこなどのごっこ遊びが展開されることも多い。実際にお団子屋さんのお客になってみると、「きなこのお団子でーす。」と葉っぱのお皿にのっているお団子には本当のきなこかと見紛うような黄土色サラサラのきなこがかかっているし、こっちはみたらし団子だよというお皿のお団子には水で溶いてどろっとさせた餡がかかっている。その水分調整や質感の丁寧な再現ぶりに「わー、美味しそう!」とこちらも感心して葉っぱのお金を支払っている。

一方、11月から12月にかけて活動していた火曜日の畑お仕事チームの畑仕舞い。畑に残った硬い茎やツルを取り除いて堆肥枠に入れたり、畑がまた春から元気になりますようにと土に堆肥を混ぜたり、最後の畑仕事に精出していた。畑の栄養?そうだラッキーにうんちをもらってこよう!と馬小屋に行ってみたものの、たまたま暮らしづくりプロジェクトのお兄さんたちが堆肥小屋を完成させてうんちの堆肥をそちらへ移動させたところで、あれれ?うんちの山がなくなってるよ!と気づいた子どもたち。

ケンセイ「ラッキー、うんちちょうだいねー!」タキ「あれ?うんちがない。なくなってるけど、あっちにお引越ししてる。」ソウ「あ!ここ、うんちがあったとこにミミズがすっごいいる!」みると元の堆肥の山があったうんちが移動した跡にミミズや幼虫がたくさんいて、黒々とした土が盛り上がっている。

ソウ「ここのミミズを畑へ連れて行こうよ。」ケンセイ「ラッキー、ミミズもらっていくね。」タキ「あれ、幼虫もいる。土がフカフカで掘りやすい。」掘っているうちにそこの土はなんだか良さそうな?土だということに気づいたのか、その土を一輪車にミミズや幼虫共々のせては畑へ何度か運んでいた。

そういえば田んぼの最後の堆肥運びの仕事の時も、羊のうんちの山にはいっぱいミミズがいて土ふっかふかー!と掘っていて気づく人もいれば、羊がうんちした途端、これ持って帰る!とほかほかの糞を大事そうにバケツに入れる人、その横の畑の赤大根を抜いてフカフカの土だとすぐ抜けるねーとー気づいたジョウ、掘らないでも折れないで抜けたね、とアキト。そういえばもう水の入っていない田んぼの水路の曲がり角にサラサラの土が溜まってる!とさっそく泥団子を作り始めた人たちもいて、ここのはさら砂工場と似てる土だね、と気づいたキノ。田畑のあちこちで色々な土の手ざわりや、糞が土になる過程をその手や身体で感じている子どもたちの姿に出会った。

「土と生命の46億年史」(藤井一至著)によると、この世界の科学技術をもってしても未だ作り出せないものが、生命と土だという。この一冊を読んでも土というものの性質を理解する手立てはあるにせよ、肥料は作れても人間はまだ土そのものを作り出せないという事実に出会う。知っているようでまだまだ奥が深い土の世界ではあるけれど、子どもたちはその色や匂い、手ざわりや質感を手や身体で感じながら遊び暮らしている。畑仕事で出会う土、遊びの中で出会う土。その手ざわりや五感をフル活用している日常がこれから先どんな興味や探究へつながっていくのだろう。この幼少期に五感で積み重ね培った力がどのように生きていく身体に活かされていくのか、これからも12年間見続けられると思うとひたすら興味深い。

#2025 #幼稚園

斉土 美和子

投稿者斉土 美和子

投稿者斉土 美和子

浅間山の麓に来て20年。たくさんの命に出会ってきました。淡々と生きる命、躍動する命、そして必ず限りある命。生きるって大変だけど面白い。そんな命が輝く瞬間を傍らで見ていたい。一緒に味わいたいです。

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