2023年6月27日
GIFT Schoolという小さな学校、マイクロスクールをやっている富田直樹と申します。先月5/26、27日に開催された「学びのかたちをつくる会#01 まわる まざる まなぶ」に参加してきました。
風越のイベントに参加するのはこれが初めてではなくて、もう5年も前の、開校直前に行われた「風越コラボ」という会が初めてでした。当時、新しい学校を創ろうと思ったはいいけれど、経験は全くないし、知り合いに「先生」が1人もいなくてどこから手をつけようかと迷っていた時に、苫野さんの本と出会い、軽井沢に新しい学校を創るらしいと知り、急いで申し込んだのが「風越コラボ」でした。そこで出会った神戸大学・赤木和重先生の本(「アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで」、ひとなる書房)に登場する「The New School of Syracuse」は、今のGIFT Schoolの大きなインスピレーションとなっていたり、僕の中ではその時々のいろいろな課題を解決するヒントを見つけにいくような、そんな存在のように勝手に思っています。
さて今回のイベントの主催者は校舎の設計者である仙田満さんを中心とした「学びのかたちをつくる会」。
空間と学びの関係を紐解いていくという趣旨に、教育関係者だけでなく建築やデザインなどに携わる方、コミュニテイ作りをしている方など、様々な視点を持った人たちが全国から150名も(!)集まってきていました。
仙田さんの提唱する遊環構造、「こどものあそびを誘発する空間、意欲を喚起する空間の構造」が、実際に子どもたちの学びにどう影響しているか。設計者の意図と実際の様子、子ども達から見える風景やスタッフの方々の葛藤なども聞きながら、あちらこちらで興味深い議論が繰り広げられる、かなり濃い~、2日間でした。
一日目の午前中は、実際に子ども達がこの校舎でどのように学び過ごしているか、風越の日常の中を、それぞれが自由に見て回り、まずはヒントを集める時間。
半年ぶりに訪れた校舎(正確には校舎の外のスペース)にできていた、いろいろな面白そうなもの達(ピザ窯とか、テントとか、スパイラルガーデンとか。そういえば木材でブランコなど遊具を作ってる子達も楽しそうだったな~)を横目に見ながら、僕は参加者の観察をしていました。
「すごいですよね~」と圧倒されている人、「うーん。。」となんだかモヤモヤしながらも何かを掴もうとしている人、「授業」をじっくりと見ている人、子どもと仲良くなり一緒に遊んでいる人。それぞれがいろいろなかたちで目の前の風景を楽しんでいます。
僕自身の現場は都市空間にある小さな学校なので、ぶっちゃけ風越に来て見て、明日すぐに「使える」具体的なヒントみたいなものはあまりありません。広さも規模も何もかもが違うし、むしろ参考にならないよな~なんて思いながら見ています。まぁ本当に「何もない」と思っていたらわざわざ来ることはないので、何かあるんだよな〜とは思いながら、言葉になる前のそれ、を探しています。
風越の中の人たちに話を聞いても、きっとはっきりとした「こたえ」があるわけではなくて、こんな壮大な規模で0→1を生みだそうとしている熱量に引き寄せられて来ているのかな、なんてことも思います。混沌としたものにはなんとも魅力があるんですよね。
あ、一つ具体的にあるのはそこら中に置いてある本で気になったものをこっそり写真に撮っています。これはきっと他にもやってる人がいるはず(笑)。
ランチを挟んで午後からは、7,8,9年生の子ども達と10名程度のグループになって、実際に子ども達が風越の環境をどう感じているかを聞く時間。入学時の(前の学校との違いからくる)戸惑いや、開校から3年の間にどんな変化を経てきたか、大人と子どもの関係性など、その場で向けられた質問に堂々と自分たちの言葉で答えていく様子はなんとも頼もしく、翌日のセッションで赤木先生が、「風越のスタッフが子どもの仮面をかぶってたんじゃない?と思いましたよねぇ」と言うほど。
特に印象的だったのはどの子からも、自分が風越をつくっているんだ、というつくり手としての意志をしっかりと感じられたことでした。普段からちゃんと、つくり手として扱われているんだろうなぁ〜。
「子どもの姿を見ればわかるよ」とは色んなところで聞いてきましたが、なるほどこういうことなんだな、と感じる一場面でした。
「職員室」に壁がなくて自由に出入りできること、空間の物理的な造りに用途を制限されないこと、隙間がたくさんあることなど、「立派」なだけじゃない校舎とその影響が少しずつ浮かび上がってきます。実際、「普通」の教室では起きにくいんだろうな〜という関わりや出会いを見かけることがよくあるように思います。
しかし一方では通常の教室のように仕切りをつくり、グループも分けて行われる従来型のような授業も今年は行われているそうで、試行錯誤は続いているようです。
GIFT Schoolでも、モデルとしたNew Schoolの様子、絨毯で寝転がっていたり、ソファに座ったり、それぞれがリラックスしながら学んでいるその形を再現しようとしたら全くうまくいかずに、少しずつ環境や在り方を微調整してきています。
2日目の朝は4つの分科会に分かれてのセッションから始まりました。
どの会も魅力的でしたが、僕が参加したのは仙田さん、あすこまさん、赤木さんが登壇した「遊環構造のある教育空間に込められた願いと大人に必要なかまえとは?」。設計者、実践者、そして定期的に訪れ定点観測している立場からの、それぞれの視点が共有され、聴く側も昨日見た風景とのすり合わせをしながら、環境について考える時間となりました。
授業者としては使いにくいと感じるところがある(まだまだ使いこなせていない、とも)、境界のあやふやなところに救われる子がいる、設計時には想定していなかった使われ方をしている、などなど、なんだか捉え所のないような話のポイントに、僕はまた惹かれていきます。
そして締めくくりは、「学びが生まれる時、そこにはどんな環境や働きかけがあるか?〜学校がマチやモリになったらどうなる?〜」というテーマの全体セッション。(これを聞きにきたのかー!と言えるほど、今の関心ごとに沿った内容でした。)
もちろん森や町が実際にできるわけではなく(風越には森は本当にあるけれど)、意図しきれない、複雑なものごとや関わりの中で、「出会ってしまう、生まれてしまう」余地のある空間、みたいなものの影響、でしょうか。
学校という場で学習内容として提供されるもの全てが、生活の中から切り取られ、切り刻まれた状態で子どもたちに渡されるのではなくて、もっと複雑な、即興的なものがあって、そんな中から学びや豊かな体験が生まれてくるんじゃないかな、と思います。
でもそれって結構不安。例え上手くいって、「なんか、いいんだよね」なんて褒められたり自分でもそう思っても、それがなぜなのかはっきりと説明できない時って、嬉しいけれどちょっと不安にもなりますよね。理由がはっきりとはわからないから、次にはそれが「再現」できないかもしれないとも思ってしまいます。マチやモリになっていく、というのはそんな事なのかな~。
ちなみにGIFT Schoolは隙間のほぼない都市部にある学校なので、学校の中にマチを作っていくのは空間としてもリソース的にもかなりハードルがあります。なので逆に、マチの中に学校を引っ張り出してくるような、学校の中と外の境界をあやふやにしたようなパブリックスペース/コミュニティ作りができないかということを今、模索しています。
例えば、地域の人たちと空間を共有して、
そこには働く大人もいて、
プレイパークのような遊び場ではクリエイティブに遊べて、
食事を共にするスペースがあって、
多様な人々が混ざり合うような場所。
これを大人だけが作るのではなくて、子どもたちも一市民として一緒に創っていくことが重要。
「学ぶ」「遊ぶ」「働く」「暮らす」が重なり融合していくと、生活の中で、本当に問題解決をしなければいけないシーンがたくさん生まれてきて、それらに向き合っていくことになります。
なんかとても面倒くさそうですが、これからのこたえのないと言われる時代を生きていくには、こうした面倒なことにきちんと向き合っていくことが、とーっても大事なんだと思います。
と、そんな朧げにできつつあるアイデアの後押しを、今回僕は、持ち帰ってきました。