2020年3月27日
僕がファシリテーションを意識するようになったのはPA(プロジェクトアドベンチャー)の体験をした時のこと。その時のファシリテーターは今は風越で同僚となったアンディ(寺中)とKAI(甲斐崎)でした。僕のグループはアンディのファシリテーションで課題解決のアクティビティに取り組んでいました。たしか、6〜7メートルの長さで張られたロープの上をグループで綱渡りのように進むアクティビティだったと思います。あと少しのところでロープの向こう岸まではたどり着けません。何度やってもうまくいかない。グループにはイライラや諦めの気持ちも混ざっていきました。ふと、グループの誰かが「ルールを変えればいいんだよ」と言ったのです。その時、ルールはルールだからその中で取り組むべきだろうという意見と、ルールだって自分たちで納得するように変えてしまえば良いだろうという意見に分かれました。ぼくはどっちつかずで、見守るアンディに、そんなことして良いの?と視線を送るのが精一杯でした。グループはアクティビティに取り組むよりも、これから僕たちはどうするかということで足踏み状態。時間だけが過ぎていきました。
アンディは、一度ブレイクしましょうと僕たちに声をかけました。迷いながら声をかけたことを前置きし「全てはみなさんの手の中にあります。」とだけ僕たちに伝えたのです。良いも悪いの判断はなく、もう一度課題が僕たちの手元に返ってきました。この瞬間、胸の中でグゥーッとなにかが動き出す感じがあったのを覚えています。その後、課題は達成できなかったのですが、自分の心が動いたことを確かに感じていたのです。これが僕のファシリテーションとの出会いです。
ここからファシリテーションを意識しながら数年を過ごしているわけですが…今はまだまだ「修行中」です。
尊敬するファシリテーターは何人かいるけれど、それぞれやり方も在り方も全く違います。資格がある訳でもありません。「ファシリテーションってなんだろう?」という問いははっきりしないままでいます。
今のままではおそらく、目に見えている部分のまねごとくらいしかできないだろうなぁ…。確実に言えることは、僕の尊敬するファシリテーターには、僕には見えていないことを僕よりもたくさん見えているということ。だからこそ、その場で起きていることに深く関わることが出来る、のだと思っています。
場をより良くするために、いつまでもだれかのファシリテーターの力を借りなければいけないと思うとやっぱり残念。場をつくる一人として、深く関わりたいというのが僕がファシリテーションを学ぶ理由です。
KAIさんからファシリテーターとしての理論を学んでいます。KAIさんが何を大事にしていて、何をしているのかということ。「KAIさんてすげぇな…。」としか表現できなかったものを、「だからそうやっていたのね。」と頭で理解する時間です。大事なキーワードをあげてみると…フルバリューコントラクト、チャレンジバイチョイス、体験学習法、Cゾーン(コンフォートゾーン)、課題解決と合意形成、「放任」と「ホールド」と「コントロール」、こんなことがKAIさんのファシリテーションを支えているわけです。それって、学習者にとっては何が大切にされてるの?といわれれば「自己選択・自己決定できているか」ということになります。指示や命令ではなく、体験を振り返りながら、次はこうしようと学習者自身が決めていきます。ファシリテータはあくまで伴走者です。そのためには振り返り(リフレクション)がやっぱり大事。大事なのは分かっているけど難しい…。
(甲斐崎の資料から抜粋)
またKAIさんから、何をリフレクションするのか?ということに関してもう少し説明してもらいました。コンテンツ(内容結果)、プロセス(過程)、自己内面(自分自身)、本質の四つ。頭では分かっている気がする…。ここまでは理論的なお話。あくまで知識でしかありません。「わかる」から「できる」を目指して、ファシリテータートレーニングを体験しました。
振り返りの後は、参加者と観察者そしてファシリテーターがそれぞれの立場から、聞いてみたいことを自由にやりとりするフリートークです。このやりとりがまた面白く、僕が楽しみにしている時間です。
お互いに気になっていたことを聞いていくと、アクティビティの意図が、参加者に全く伝わっていなかったことが判明したり、参加者が困っていたのに、それに気づかずに見過ごしたことが分かったりします。「同じ場」を共有しているのに、それぞれ全然違うことが起きてしまうのですから、ファシリテーターは「DO 何をしているか…」という目に見えている部分より、深いところまで意識を向けて行く必要があります。この感覚、磨いていきたい。僕がこのトレーニングで試そうと決めていることは、積極的に介入してみようということ。これは教室での日々を振り返って感じていることでもあります。これまで見守ることが多かった僕ですが、きっと見守るといいつつ「放っておいた」ことが多々あったのだろうと今改めて思っています。うん、胸が痛い。。ちゃんと関わるというところ、一歩勇気をもって踏み出してみようと思っています。