2019年2月21日
「文章の書き方は一人一人違う」というのは、普通に考えると当たり前のことですが、私たちは、子どもたちに作文を「書かせる」ときには、あまり考えずにある一つの方法を教えてから作文に取り組ませています。よかれと思ってしていることかもしれないし、それが当たり前だからと思っているのかもしれません。
学校で、作文を書かせる時によく教える方法は、「はじめ・なか・おわり」、「序論・本論・結論」などの三段構成や、「起・承・転・結」の四段構成あたりでしょうか。下書きを書き始める前に、プリントを用意して、これらの要素をまとめたものを書かせます。それをネタにして、下書き、清書と書き進めさせていくのが一般的な作文指導だと思います。書き方を知らない子どもたちや苦手にしている子どもたちにとっては、とても取り組みやすい方法です。基本的なことは押さえてあるので、いろいろなジャンルにも応用可能です。
さて、本題に入りましょう。風越こらぼでは、第1期は全員、第2期は「ことのは」というプロジェクトで、ライティング・ワークショップ(*)に取り組んできました。風越こらぼでは、「作家の時間」と呼んでいました。
以前から私はライティング・ワークショップに取り組んでいましたが、そこで気付いたのは、「書きたいことを書きたいように書く」というフレームになった時、一人一人の独特の書くプロセスが現れるということです。題材やジャンルを決められた時には、なかなかそれが現れません。ましてや、書き方を教えられて、その方法でしか書けないとなると、一人一人の書くプロセスはまったく現れてきません。でも、子どもたちが多様であれば、当然書き方も多様になるはずです。
風越こらぼでも、子どもたちの多様な書くプロセスが現れてきました。そのたびに私は「ほほーっ」とか「えーっ!」とか「わはは!」とか、そんな言葉を発してしまうのです。これから、こらぼの子どもたちの書くプロセスを紹介していきます。みなさんも、遠慮なく声を発してください(笑)。
1人めはゆうこです。2年生です。ゆうこは第1期からとても積極的に書くことに取り組んできた子で、第2期も「ことのは」に入りました。ゆうこの書くプロセスは、私の教師生活27年、未だかつて見たことのないものでした。
ある日、自由時間に、私がローテーブルで、少年時代の不思議な幽霊の体験の話をしていると、ゆうこが「私、書こっ!」と言っておもむろに作家ノートを開き、鉛筆を走らせ始めました。題は「ゆめの見るあさ」です。勢いよく書き始めてしばらくすると、彼女はその下書きを声に出して読み始めます。まだ途中の文章です。書き終わったところまで読み終わると、彼女はちょっと考えた後、またすぐに書き始めました。そしてしばらくするとまた「読むね」と言って読み始めます。今度は読み終わるとすぐに鉛筆を走らせます。そしてさらにもう1回、もう1回と、書いては読み、読んでは書きを繰り返します。アップしてある1つめの動画は、6回目くらいの読みです。
さて、彼女のこの書くプロセス、何なんでしょう? 読んでいるときに、周りには、私と数人の子どもたちがいました。その人たちに向かって読んでいるかというと、そうではなさそうです。コメントを求めようともしません。勝手に感想を言ったり、笑ったり、驚いたりと反応しても、あまりそこには関心がないようでした。教師はよく、「自分の作品を読み直して、修正や校正をしなさい」と言いますが、ゆうこの読みは、そのためでもなさそうです。事実、ゆうこは読み終わった後に、一度も書いたことを直すことはしませんでした。フィードバックをもらうためでもなく、修正のためでもないということはどういうことなのでしょう。
ゆうこの読んでいる様子を見ると、おもしろいことに気付きます。かなり感情を込めて読んでいます。いわゆる「表現読み」というものです。このことからも、修正のための読みではないことがわかります。修正や校正のためならこんな読み方はしませんよね。さらに、読むことを数回繰り返していくうちに、この表現読みがどんどん派手?になっていきます。どんどん自分のつくった物語の世界に没入していっているかのようです。その中で、イメージを膨らませています。読み終わった後、すぐに書き始めているところから、読みながら先の展開を考えているような気がします。私たちも、何を書くか行き詰まった時、もう一度最初から読み直して、ストーリーや論点を確認したり、整理したりしていることがあります。これと同じように、ゆうこも、この先の展開を書くために、もう一度物語の最初から読み直して、その作品世界を自分なりに解釈し直したり、再確認したりしているのではないかと思います。ただ、ゆうこの場合は、そのサイクルがとても早く、1、2行書いては読み、書いては読みを繰り返しているのです。そして、声に出して読んでいるというのも特徴的です。これにも何か意味がありそうです。そのサイクルにはよどみがなく、ものの30分で1編の作品を書き上げてしまいました。
また別のある日に、ゾンビものを書いていた時があります。この日はノートを忘れたので、清書用紙に直書きでした。この日も彼女の書き方は、数行書いては音読(表現読み)をするということを繰り返す独特なものでした。その時私は、「もしかしたらこの書き方は下書きを必要としないのではないか」と気付きました。よくよく考えてみると、彼女は数行を書くのにすごく時間を使っています。一気にバーッと書いてその後修正、校正をするという書き方ではなく、数行を書くのに、音読という方法を用いて、かなり熟考し、慎重に書いているではないかとこの時に気付いたのです。熟考して書いた文章なので、彼女は書いた文章に修正も校正もほとんど加えません。実際書いた文章に間違いはなかったのです。ちなみに、この日の音読は10回以上やりました。最後の動画で、「はい、じゃあ、読むよ」と言うゆうこの声に、男の子(たかし)が「何回読むんだよ…」と半ばあきれ、となりの女の子は「読むの好きだね、1行書くたびに読んでるよ…」とこちらはちょっとびっくりした感じなのがおもしろいですね。
2人めは、れんです。れんは1年生。この日は、作家ノートに途中で終わっている下書きがあったので、「これの続き書く?」と聞くと、「書く!」と言うので続きに取りかかりました。1学期は絵が中心でしたが、今回は文章が2文になっていました。ストーリーもあります。こうやって少しずつ物語で世の中を表現するようになるんだなぁと思いました。そして、れんには、絵が重要なのだと思います。ストーリーを文で考える前に、お話を絵で描きながらどんどんつくっていきます。スタッフが絵についていろいろと質問していくと、ちゃんと説明して言葉にしていきます。そういう流れが自然というか、書きやすいのだと改めて感じます。文だけで表現することにこだわると、それだけでおもしろさを失う子どもは多いと思います。世の中には絵本がいっぱいあります。中には、文のない絵だけの絵本も名作がたくさんあります。表現したいと思う時、文だけでなく、絵やモノを通して表現しても、それはそれでOKなのです。こらぼで出版(自分の作品を公表すること)された「かぜつづり」には、そういう作品がたくさん掲載されています。
3人めは、たかし。夏休み後に途中入室してきた2年生です。最初は書く気はなかったみたいでしたが、スタッフの「デビューしたら?」の声かけで作家ノートを持って、みんなが書いているテーブルへ来ました。何をどうやって書くのかわからないとのことなので、前回書いた「書けそうなことリスト」から、書けるかなと◯をつけた「犬」について、いくつかインタビューしてみました。とてもうざい犬らしく、犬とのやりとりをおもしろおかしく語ってくれました。聞いていく中で、やはり書くことに対してのハードルを自分で上げていることがわかりました。いくつか質問した回答をそのまま書いてごらんと促し、書き始めます。5行くらい書いたところで書くことがなくなったので、清書をすすめると、「えっ?これでいいの?」という表情をします。犬の絵も描いてもらいたかったので、挿絵のスペースのある原稿用紙をすすめるとそれに清書を書き始めました。本文を書いた後、ネットで犬(コリー犬)の画像を出し、それを視写しました。
彼が書いたことは、スタッフとのインタビューの中の言葉です。れんの場合もそうでしたが、一度言葉にしてアウトプットすると、書くことが整理されていくのでしょうね。ちなみに彼はこの後、「うざい犬」シリーズを計4作書き上げています(彼犬の名誉のために言っておきますが、たかしはこの犬のことをとても愛しています)
4人めは、こよりです。こよりは3年生、作家の時間にとても積極的に取り組んでいる子です。こよりは、「あみもの」という学校ものの作品を1学期に出版していました。仲良し女子3人組の友情がテーマのお話です。トラブルを乗り越えた3人組は、今度は他のクラスメイトとのトラブルに巻き込まれます。と、ここまで大まかなストーリーは考えていたものの、なかなか下書きが進みません。書き出しを数行書いたところで、ストップ…。ここで作家の時間からいったん(といっても1か月半!)離れ、絵を描く探究に取り組みました。
絵の探究が一段落すると、「あみもの」の続きに取りかかります。しかし、やはりうんうんうなってしまいます。そこで、「じゃあ、ゴールを決めよう」と提案します。ラストシーンです。でも彼女は、「ラストは決まらないなぁ」と言います。「じゃあ、お話を整理してみよう」ということで、まずはキャラ設定。以前の3人の登場人物のキャラを整理します。そして今回は、敵キャラがいます。この敵キャラの設定あたりから調子が出てきます。クラスの裏ボスにしていじめっ子、クラスの子どもはこの子に何も言えない。名前は…「何がいい?」「嫌な感じの名前」「でも、近くに実在しないようにね」「『か』がつく名前って、嫌な感じだよね」(根拠は分からない…)「そう?」「うーん、かのんだ、かのんにしよう」ということで、「かのん」が誕生します。「で、このかのんと何があったの?」…という感じで、ストーリーに入っていきます。「何か事件が起こらないと、物語的に盛り上がらないから、読んでもおもしろくないよね。その事件、突然起こったら変だから、何かきっかけが必要だよね」とアドバイスします。
ここからこよりは、自問自答しながら、作家ノートの右側に、ウェブ状にストーリーを展開させていきます。このプロットをもとに、「あみもの②」の下書きが完成しました。この話は、「あみもの③」に続きます。
次の作家の時間に、彼女は「あみもの②」の清書をするかと思いきや、そのまま「あみもの③」のプロットづくりに入ります。今回は、最初からプロットづくりをやると言いました。(ちなみに、彼女はプロットという言葉は使っていません。「流れ」と言っています)続きをまたウェブ状に展開させていきます。しかし、このプロットはラストがつまらなくなるということで、中途でボツになります。最後の部分、苦労の消し後が…
気を取り直して次のページにプロットを途中から書き直します。また自問自答しながら声に出してストーリーを展開させていきます。
ついにラストはこうする!とまで決めたけど、プロットにはラストを完全に書き終わらないまま、「あみもの③」の冒頭部分の下書きに入ります。しかし、いざ書こうとすると、②のラストとつながりが合わないことに気付きます。そこで、②の下書きに戻り、最後の部分に修正を加えます。みなさん、画像②の下書きのラストのところ、動画では線で消され、その下に新たに修正して加えた文が書いてあるのわかりますか?そして、気持ちよく、③の出だしの部分に取りかかります。でも、その日はしばらく書いたところで時間切れになってしまいます。
さて、こよりの書くプロセス、今まで見てきた子どもたちとは明らかに違います。どちらかというと、大人好み?ですね。プロットづくりから入るのは、作文指導の定石です。このプロットづくりを提案したのは、スタッフの私ですが、これが全員に効果的かというと、そんなことはありません。前にも書いたように、書くプロセスは人それぞれです。声に出す子、絵から着想を得る子、友だちやスタッフとの対話からつくり始める子…その子なりの書き方をもっています。こよりは、これまで書いた詩もバラの絵も、完成までの行程が実に丁寧で、手を抜くことをしませんでした。バラの絵に色付けをするまで、十数枚の下書きを描いた子です。だからといって生真面目でもなく、とても楽しそうに、丁寧に手順を踏んでいきます。こよりに、「バーッと下書きを書いて、後から修正すればいいんだよ」というアドバイスしても、たぶん彼女はそれを採用しないでしょう。ますます悩む一方だったのではないかと思います。こちら側が、いくつかの引き出しをもっていて、その子に合うようにアドバイスすることが大切なのではないかと思います。
最後に紹介するのは、まこです。夏休み後に途中参加した4年生です。最初はなかなか自分の思いを告げられず、他の子どもたちの様子を眺めているだけ。作家の時間にも、4回目にしてようやく取り組み始めました。まこについては、書くプロセスだけではなく、書き始めるまでのプロセスも紹介したいと思います。
この日、自己主導の時間が始まると、まこは作家ノートを持って私のところにやってきました。最初から非常に困惑した顔をしています。何をどうしたらいいのかさっぱりつかめていない様子です。こういう不安が、ハードルになっていたんでしょうね。まずはどうやって書くのか質問をしてきます。作家ノートの使い方を説明し、過去の私のクラスの先輩のノートを見て、ノートへの書き方を知ります。次に、何を書けばいいのか悩みます。彼女がまず参考にしたのが、「かぜつづり」の第1集です。彼女は「かぜつづり」のことをお手本と呼んでいました。「お手本見せて」というので本棚からとって渡してあげました。じっくりと読んでいます。これはかなり長い間読んでいました。これで少しはハードルが下がったのではないかと思います。こんな程度でいいのかって。笑
次にまこは「本取ってくる」といって、本の部屋へ行きます。持ってきた3冊の本をじっくりと読んでいます。参考にしているのでしょう。
何を書くか決まったようで、ノートに向かいます。しかし固まったまま動かず…。「最初に題を書いてね」というと「どこに?」と言います。(いや、それわからんか?)とも思いましたが、一行めを指し示します。要するにすべてが不安で、説明がないと動けない感じの子なのかと思いました。3冊の中の妖怪の話からインスパイアされたのか、「ようかいマンション」と書きます。(後に「ようかいアパート」に変えました)
題を書いてまたスタック…。「どうやって書くの?」と質問してきます。「とりあえず思いつくままダーッと書いてごらん」という実にいいかげんなアドバイスをしてしまいます。「あとからいくらでも直せるからね」とさらに無責任なアドバイスを付け加えるも書けず…と、ここで、彼女がまだ受けていなかった「作家の技②書き出しの工夫」のミニレッスンをします。4つの例を示し、さっきの3冊の本のそれぞれの書き出しに注目し、これはあーで、こっちはあーでと比較します。いくつか文例を私がその場で思いつきで言うと、「これにする」と言って書きはじめます。「これ」とは、「会話文からはじめる」という工夫です。
その後は動画の通りです。堰を切ったように書き始め、一言もしゃべらず、周りの喧噪にも見向きもせず、ひたすら鉛筆を動かします。時折止まっては沈思黙考。なにやらつぶやいてもいます。没入感が半端ないです。20分ほどでノート1ページ半を書き上げました。
すごい勢いで書くので、文量も増えるだろうと予測して、章立てすることをすすめます。じゃないとたぶん締め切りに間に合いません。切りのいいところで章で区切ろうとしますが、そこまでいかないうちに時間がきてしまいます。清書もできませんでした。しかし、なんとまこは、このままじゃ気が済まないらしく、来る予定ではなかった明日か明後日に、もう一回来たいと言います。帰り際、お母さんに相談し、明後日に来られることになりました。そしてまこは、その日に清書をし、作品を出版原稿提出箱に入れることができたのです。
これが、まこが書き始めるまでのプロセスです。私は最初、まこは書くことにとても抵抗があり、書くのが苦手なんだろうなと思っていました。しかし、実際はそうではなく、彼女の書くスキルはとても高く、語彙も豊富で、表現方法もしっかりとしていたのです。彼女がなぜ書き始められなかったか、それは「自由に書いていいよという自由の束縛」とか「決められていないことへの不安」があったのではないでしょうか。でもまこは、それに対して逃げることなく挑戦し、多様な方法を自ら考えて実行しました。書き始めるまでの約30分、友達の作品を読む、本物の作家が書いた作品を読む、スタッフに質問する、わからないことをはっきりと言う、スタッフのレッスンを聞く、例示された作家の技から自己選択する…そして、最終的にスイッチを押したのは自分でした。書くプロセスだけでなく、書き始めるまでのプロセスにも一人一人の特徴があるのだと思います。
文章を書くプロセス(書き始めるまでも含めて)は子ども一人一人様々です。ここに紹介した5人でも、音読、絵、インタビュー、プロット、本など様々な書き方で書いています。ですから、一通りの「書き方」が決められているような作文指導では、もしかしたら窮屈に感じている子もいるかもしれません。ライティング・ワークショップでも、ミニレッスンで書き方は教えるものの、それは限られた例示にしか過ぎず、一人一人の子どもにそれぞれどの書き方がぴったりなのかはわかりません。でも、カンファランス(子どもとの対話)を続け、根気よく子どもの書くプロセスを観察していると、少しずつわかってくるのかなと思います。一人一人の「書きたいことを書きたいように書く」ということが大切にされていると、よき書き手が育っていくのではないでしょうか。
*ライティング・ワークショップとは…
子ども自身が本物の「作家」になる体験を通して「書く」ことを楽しく学ぶ、欧米の「読み」「書き」の授業の主流を成しているワークショップ。「書きたいことを書きたいように書く」ことを基本とし、題材、ジャンル、書き方などを自己選択・自己決定しながら、自立したよき書き手を目指して書き進めていく。制作途中で、先生や友達とカンファランス(対話)することや、出版に際して多様な読者からフィードバックをもらえることなど、協同して行う活動であることも特徴的である。