2019年10月22日
認可外保育施設「かぜあそび」がはじまって、半年。約1ヶ月の夏休みが明け、鳥井原の森に子どもたちの姿が戻ってきました。
「とんぼのめがねは みどりいろめがね
広い原っぱをとんだから、とんだから
とんぼのめがねは むらさきめがね
浅間山をみてたから みてたから」
この歌詞は、「水色、ぴかぴか、赤色のほかにどんな色があるかな?」というスタッフの問いかけから子どもたちが紡いだもの。
多くの人が、緑色から“山”を連想をするのではないかと思うのですが、この時、紫色から“浅間山”を連想し表現した子どもの言葉に、子どもたちは目の前にあるモノを自分の眼でしっかりと見て、感じ、向き合う力を持っているんだということを、改めて感じました。
そして、そんな子どもたちの姿から、先日スタッフインタビューでゆっけが話していた一節を思い出しました。
わたしは、自然の中で生き物と本当に出会った時、2・3歳の人でも、大きく心が動くと思っています。感動だったり、時に畏怖だったり。それは、本物との出会いでなければ感じられないものだと思います。 (中略) こどもたちがバッタを捕まえて『これなぁに?』と聞いてきたら、正解を伝えるのではなく「一緒にみてみようよ」、「どんな体や口をしてるかな」、「こういうところを見てみるのも面白いんじゃない」と、繰り返し一緒に感じたいんです。そうすることで、バッタとしてしか見えていなかった存在が、『バッタの“あし”ってこんなにジャンプできてすごいな』とか『バッタの“くち”ってかまれたらいたいね。はっぱをかみきるちからもあるんだよ』と見えてくる。
そういう見方ができるようになると、その生き物が“面白い”から“すごい”に変わっていくんですよね。そしてそれが、科学的なものの見方にだんだんと繋がっていく。
かぜあそびも2学期がはじまり、スタッフたちの想いと子どもたちの姿が繋がったと感じる瞬間が、保育のなかで少しずつ増えてきているように感じます。
「ノコギリクワガタいないかなぁ。ハサミがジョキジョキしていて、よくきのみつのところにいるんだけど」
「こちらはエンマコオロギですね。とぶからおきをつけください」
この日も、森、築山、原っぱ…フィールドのいろんなところで、虫探しが始まったかぜあそび。登園してすぐに虫かごと網を持ってフィールドを歩き回っていたルイも、そのうちの一人でした。
そんなルイの足が止まります。「みて!カエル、みつけた」
その声を聞いて側によると、ルイの手のなかには小さなアマガエル。
「知ってる?あのね、いしがあるとカエルはゆっくりできるんだよ」少し得意げにそう教えてくれると、カエルが上に乗って休めるほどの石とアマガエルを虫かごにいれました。
その様子を少し離れたところで見ていたのが、タイチ。タイチの手にも虫かごが握られています。
『…たいちゃんもカエルみつけたの』
そう、実はルイがカエルを見つけるよりも少し前に、タイチもカエルを見つけていたのです。
東屋に移動して、テーブルの上に虫かごを置くふたり。タイチの虫かごを覗き込みながら、ルイが言いました。
「あれ、カエルのいろがちがうね。ぼくのはつちのところにいたからちゃいろなんだけど」
タイチも自分の虫かごとルイの虫かごを交互に見ながら、こう答えます。
『たいちゃんのは、くさのところにいたからみどりいろなんだよ。みて、おなかにしろいちっちゃいぶつぶつがでてるんだよ。とんぼのめもよくみると、たくさんぶつぶつあるんだよね』
「このまえ、カナデくんちのたんぼにもカエルいたよね。おおきかったよね」
『うん、これくらい!ひゃっきろだった!』
「もーっと」
『ひゃくにじゅっきろ!』
「もーっと」
『えー、にひゃっきろ?』
「そうだよ!ピンポン!!」
目の前にいるカエルから過去の経験を思い出しながら話すふたりの姿は、とても生き生きとしています。
「ねぇ、どっちがおおきいかな?おすもうさせみようよ」
そうルイが提案し、自分が捕まえた土色のカエルを、タイチと同じ虫かごにいれます。カエルを触る手は、とってもやさしい。
「…ぼくのがちいさい。あかちゃんだね」
今、自分の目の前にいる生き物はどんな色、カタチをしているか。なぜそんな特徴をもっているのか。
同じ種類の生き物でも、ひとつとして同じものはいないということに、ルイもタイチも体験から気づきはじめているのでしょう。
そして、そんな彼らには、二度と同じ出会いはなく、毎回新しい出会いが待っているんだろうと思います。