2019年6月15日
2〜5歳まで27人の子どもたちが毎日通う認可外保育施設「かぜあそび」がはじまって、二ヶ月。
「あ、“はやとくん” がきたよ」
「きょうは “ちか” おやすみだって」
「みてみて、“これ” たべられるんだよ」
月に一度かぜあそびにお邪魔するかぜのーと編集部のわたし(三輪)に、こどもたちが最初にかけてくれる一言にも変化があるように感じます。
こどもとこども、こどもと大人、こどもと環境ー。4月、さまざまな “あいだ” ではじまった関係性が、少しずつ深まりをみせ、その変化がこどもたちに「わたしやあの子はこんな人だよ」という発見や、「ここも自分(たち)の居場所だよ」という意識を芽吹かせているのかもしれません。
それはこどもたちが鳥井原の森で生活を共にする中で、自然と深めていったものでもありますが、かぜあそびのスタッフが日々、“きっかけ” の種まきもしています。
たとえば、集いの時間。
自由に好きな場所で遊ぶかぜあそびのこどもたちにとって、仲間の存在を感じる時間として、生活のひとつになっています。
その中で行われる、「お知らせの時間」と「名前呼び」。
鐘の音が聞こえ、ゆるやかに集まってきたこどもたちに、スタッフが「お知らせある人ー?」と問いかけます。
「きいてきいて!」と言わんばかりに元気よく手をあげる人やちょっと躊躇してからあげる人もいれば、今日は聞く専門という人もいるのですが、そこで聞く“お知らせ”の内容が面白い。
「ママ、かぜひいたんだ」
「かっこいいサングラスもってきたの」
「たいようのとうをみにいったよ」
自分の好きなことや大切な人のこと、うれしかったことを紹介する人が多いのです。
生活やあそびの中だけでは知ることのできない、その子から見える景色。それを一緒に感じさせてもらえる時間がゆっくりと育まれ、最初は大きい人が中心だったお知らせタイムが、今では小さい人にも広がりをみせています。
「しぇー」「はー」「おしりぺんぺん」「あっかんべー」
思わず笑ってしまいそうになるこの言葉たちは、今日の体調や様子を確認したり、来ている子、お休みの子の共有のための「名前呼び」で、自分の名前を呼ばれた時のこどもたちの返事。
「はい」だけではない言葉で、自分を表現することを自由に楽しむ姿も、自分と他者をいろんな角度で知っていく小さな、でも、大きなきっかけになります。
そんな「名前呼び」でこの日、一人の男の子とスタッフのゆっけ(井手)のあいだで、こんな関わりがありました。
「今日はみんなに名前呼んでもらおうかな」
ゆっけからの提案で、こどもたちが行うことになった今日の「名前呼び」。
この日は、かんたが「やりたい」と立候補しました。
座っていた平均台から立ち上がり、ゆっけの横へ来るかんた。ニヤニヤとこわばりの両方を覗かせる表情から、彼の緊張が伝わってきます。
でも瞳は真っ直ぐ前を向き、じーっとみんなを見つめている。ただ、名前呼びはなかなかはじまりませんでした。
となりで見守っていたゆっけが、しばらくして声を掛けます。
「誰かにお手伝いしてもらう?」
かんたからの返事はありません。
「ひとりでやってみる?」
少し言葉をかえて再度聞いてみると、その言葉には小さく反応するかんた。
そんなかんたを、「そっか、よしじゃあやってみよう!」とそっと、でも力強くゆっけは後押しします。
小さく、ゆっくりと、指を差しはじめたかんた。
そのとなりで、同じように指を差しはじめるゆっけ。
「リリーのとなりの人かな?かんたくんが誰かを見たり、指差したらみんなで呼んでみようか」
ゆっけのその一言で、周りのこどもたちの意識もかんたの指先へ。
「お、しゅんすけ?」
(頷くかんた)
みんなで『しゅんすけー』
「昨日、水色の帽子のひと?」
(頷くかんた)
みんなで『あいちゃーん』
指差すリズムもどんどん早くなっていく。
しかし今度は誰を指差しているのかが当たらなくなってきて、かんたはまたじーっとみんなを見つけるだけになりました。
「ここまでにする?」
かんたにだけに聞こえるくらいの小さな声で、そう声をかけたゆっけ。でもかんたは戻ろうとはしません。
「ここからはゆっけと一緒にやってみようか」
その言葉のあと、歌うようにこどもたちの名前を呼ぶゆっけの声に合わせて、かんたがまた指差しをはじめます。
「かいのとなりのようすけくん、ようすけくんのとなりのれんくん、れんくんのとなりのー」
最後までやりきったかんたは、誇らしげな表情で軽やかに平均台の椅子へ戻っていったのです。
実は、かんたにとってこれが初めての「名前呼び」でした。彼が自分で友だちへの扉を開いた瞬間だったのかもしれません。
何が彼を動かしたのか。内に秘めている思いや「こうしたい」「こうなりたい」があるのでしょうね。