2020年4月17日
本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。
(長田弘「世界は一冊の本」)
学校の中に図書館があるのではなく、図書館の中に学校がある。風越のライブラリーに初めてたくさんの本が入った時、そんなことを思いました。真新しい、でも空っぽの四角い桝目に、大きさも色もとりどりの本がならぶと、棚の木々が一気に息づいて、賑やかな森になるみたい。浅間を左に臨みながら歩けば空想の世界に出会い、奥の小道をのぼれば、歴史や社会、宇宙といった僕たちを取り巻く世界に出会う、そんな楽しい森の散歩を、しばらく一人で楽しみました。
このライブラリーの本は、エリアごとに棲み分けつつも、「日本十進分類法」という分類に基づいて整理されています。
僕がこの分類法を初めて意識したのは、高校生くらいの時だったでしょうか。哲学、歴史、社会科学、自然科学、農業…これまで人類が蓄積してきたあらゆる知が、0類から9類までに区分されて、今を生きる僕たちの目の前にある。そのアイデアを知ったときには身震いがしました。
ここに、人類の知的遺産の全てがある。長い長い人類の営みと自分が、この場所でつながっているんだと。図書館は、これまでの人類と自分をつなげてくれる場所。ここには世界がある。うまく言葉にはできなかったけれど、そんな感覚にとらわれて、自分の体が上下に引き伸ばされるようでした。
ほんの少しの言葉と、好奇心さえあれば、図書館ではなんでもできます。500年前の戦争の生き証人になることも、未来都市の孤独な老人になることも。肉眼では決して見られない細胞の中に入り込むことも、異国の哲学者と、存在について対話することもできる。図書館の中は、世界中のどこよりも想像力に寛容な場所。そして、その世界で楽しく暮らしているうちに、自然と言葉がふえ、好奇心も増していくところです。
当たり前の現実よりもよほど豊かな世界が、図書館の本の中にあり、そして、本の中で過ごす時間が、今度は当たり前だった現実を豊かに見せてくれるでしょう。本でないものはない。世界は一冊の本なんだと。
風越学園の言葉の学びの中心にあるのは、ライブラリーで生まれる、たくさんの小さな世界。すべての人に、この本の森の中で、たくさん読み聞かせをしてもらったり、自分一人で読み耽ったり、今や過去の人と、あるいは空想の世界の人と語らったりして、自分の言葉と好奇心を育んでいってほしい。この本の森に分け入り、隠れ、集い、やがてそこから出てくる時、その人の目の前に、豊穣な世界が広がっていることを信じて。
本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。