開校までの風越のいま 2018年11月19日

「子どもが未来をつくる」 環境デザイン研究所 仙田氏・宇佐美氏インタビュー

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2018年11月19日

2016年10月21日、本城はそれまで全く縁のなかった環境デザイン研究所に校舎設計を相談するメールを送りました。それから約2年後の2018年9月、紆余曲折を経て校舎の設計がおおよそ一段落した折、会長の仙田満さん、チーフの宇佐美洋平さんにお話を聞きました。


仙田満氏(環境デザイン研究所 会長)幼稚園・保育園や遊具など子どもに関わる環境デザインや設計の実績は多数。宮城中央児童館のモデル児童遊園の遊具広島市民球場国際教養大学中島記念図書館なども有名。2020年オリンピックに向けて現在建設中の長野県立武道館(佐久市)の設計も担当。公益財団法人子ども環境学会代表理事も務める。

(本城)最初にご連絡してから、この2年間でぐっと進み、おかげさまで形になってきました。実は仙田さんにメールをお送りしてお会いするずっと前に、ご著書のひとつである「子どもと遊び」を読んでいました。校舎の設計をどなたにお願いするかを考えたとき、ふとその本のことを思い出し、軽井沢風越学園において「学び」と合わせたもう一つの柱と考える「遊び」、そしてそれらの環境について知見があり、また軽井沢の近隣市町の建物にも多く関わっておられることから、何の面識もないのに思い切ってご連絡をさせていただきました。
今日はあらためて、仙田さんがどのように「子どもと遊び」について深めてこられ、それが軽井沢風越学園の設計にどう活かされているか、お聞きしてみたいと思っています。

(ライブラリーを中心とした校舎の模型:撮影・藤塚光政氏)

「子どもと遊び」に関わるきっかけ

(仙田)僕が建築家として独立して環境デザイン研究所を立ち上げてから、今年で50年になりました。大学を出て、最初に携わった仕事が横浜市にあるこどもの国での林間学校の設計です。今の天皇陛下が皇太子時代に美智子様とご結婚された記念に国がつくった国家事業で、「子どもたちに野遊び・山遊びを返そう」というコンセプト。子どもの国は1965年に開園しましたが、その時代は自動車やテレビの普及など、人々の生活に大きな変化がありました。そして、子どもたちが野遊び・山遊びから離れていく状況が生まれつつあったのです。この仕事をきっかけに、子どもにとっての遊びや自然は、どういう意味があるんだろう?ということを、考え始めました。
そのあと遊具の設計も手がけるようになり、ある児童学会で僕が発表したときのことです。ある先生に「遊具というのは子どもの活動を制限する、遊びを規制する側面がある。あなたは遊びを発展させるというが、逆に遊具によって遊びを規定してしまうのではないか。」と言われたんです。それに対して、僕はあんまりうまく答えられなかった。それがきっかけで、子どもたちにとっての遊びやその意味について、もう少し学問的に研究していかなければいけないと考えました。遊具や建築というものが、子どもにとってどのような役割があるのか。子どもの成育にとって必要な空間というのは、どういう空間なのか。そういうことを研究しようと思ったのです。僕が20代後半の頃でした。

子どもの成育にとって必要な空間とは?

(仙田)1974年にオイルショックが起き、当時の仕事が立て続けに中止や延期になってどうしようかと思っていたとき、トヨタ財団の研究助成の記事が目に止まりました。それまで自主研究として進めていた子どもの遊び環境の変化についての論文と研究計画書が運良く採択され、設計の仕事の代わりに研究ができることになったのです。
子ども時代に何人くらいの友達とどんな遊びをしたか? それはどういう空間でどういう場だったかなどの遊び体験について、たくさんヒアリングしました。町で遊んでいる子どもたちに声をかけて、地図に遊んでいる場所を書いてもらったり、どんな遊びをしているか聞くことが、その当時はまだできたのです。このような遊び空間の研究を全国39箇所の小学校区でやりました。このときの経験が、僕の遊び研究のベースになっています。
遊びの環境とは、一般的には「遊びの3間(空間・時間・仲間)」と言われています。それに加えて、「遊びの方法」が重要だというのが、僕の提案です。僕が子どもの頃の1955年頃と、1975年頃、あるいは現代も含めての子どもたちの大きな違いは、「遊びの方法」の違いだったのです。自然の中で探索していろんな発見をする遊びや、仲間でルールをつくってする遊びは、生活の変化に合わせて減っていきました。1955年頃と今の子どもたちの日常的な遊びの空間量は、1/100くらい少なくなっちゃってると思いますね。1955年頃の子どもの遊び空間は、1人あたり約16ヘクタールが平均的なテリトリーだったのです。

(本城)その空間量に子どもの遊びの時間をかけ合わせると、きっともっと減っているでしょうね。そのように減ってきた遊びの体験を、子どもたちが過ごす建物、空間を工夫することによって補おうということを設計のときに意識なさるんですね。

(仙田)そうですね。僕の友人のアメリカ人の心理学者が、僕が設計した幼稚園に来て驚いていたのは、建物の構造と子どもたちの動きです。アメリカやヨーロッパの幼稚園は、だいたい平面なんです。そこにいる子どもたちは、立体的に動きません。僕は、屋根裏だとかをつくって、子どもたちが縦にも活動するようにつくります。僕自身も子どもの頃、屋根裏や押入れなんかが遊び場であり、居場所だったんですよね。

心を一つにする軸となる浅間山

(仙田)子どもたちが出かけていく、挑戦していくには、必ずそれを受け止めてくれる、不安や恐怖を感じた時に、戻って受け止めてくれる安心基地が必要というアタッチメント理論があります。それには、母親や父親、保育士、先生や近所の人など人の存在が圧倒的に重要ですが、空間もそうした存在になりうるのではないか。出かけていく前のここが居場所なんだという安心感が挑戦するための土台というか。設計するうえで、どんなふうにすれば基地としての安心感を感じられる校舎になるか考えていました。
あと最近、やっぱり瞑想というのは大事なんじゃないかなと思っていて。保育園とか幼稚園を設計する中で、子どもがぼーっとしたりできる空間って必要だなということです。

僕は、軽井沢風越学園では浅間山が非常に重要だと思っていて。浅間山がなんとなく心を一つにする軸でもあるんじゃないかな。なので、「浅間軸」とずっと言っていました。

(テラスの先に浅間山が見える設計)

(本城)浅間軸は、最初の校舎設計の提案から一貫して、仙田さんのお話の中に出てきてましたね。浅間軸と同じく、「グレートホール」という言葉もよく出てきましたが、改めてグレートホールについて教えてもらえますか?

(仙田)グレートホールは、みんなで一緒に集まる空間のことです。たとえば、「ブックコロシアム」というコンセプトで設計した秋田市にある国際教養大学の中島記念図書館でも、グレートホールは大事にしていました。みんなが図書館に来て、空間を共有しながら本を読んでいる。それぞれ読む本は違っても、そこに一緒にいるだけで気持ちが落ち着く、そこにいたいと思う。そういう場所のことです。

軽井沢風越学園の場合は、それが浅間軸であり、その軸が突き抜けているライブラリーの空間になりうるんじゃないかな。子どもたちが、それぞれに違った活動をして、違う本を読んでいるんだけど、なんとなく連帯感があるようなことがあったらいいかなと思います。

図書館計画の定説は、とにかくフラットじゃないといけないと言われていたんですよ。でも僕は本を探索する楽しさは、山や谷があったりするところじゃないかと思って。そんな空間で、配架はどうするんだという司書さんとの戦いもあるんだけど(笑)。でもおもしろがる、というのは学習の場では必要なんじゃないかな。
我々の生活でも、困難なことが多いですよね。困難を感じたときに、それを障害ではなくて乗り越えるべきハードルとしておもしろがれば、うまく乗り越えられるかもしれない。子ども時代にたくさん遊んだり・登ったり・もぐったり、ということが、生活の中で習慣化して体得していることで、困難に出会っても、めげずにおもしろがれるんじゃなかろうかと思ってるんです。そういう意味では、あの自然豊かな環境の中に校舎ができることは、とてもすばらしいことですね。土地のポテンシャルを最大限に引き出せる設計を考え続けました。

(左上が初回打ち合わせのA案→右上I案→左下N案→右下V案と変化。Z案の後、”いろはにほ”と続いた。)

(テラスから校舎内を見た模型。1階と2階を結ぶスロープにも本棚が並ぶ。中心線が浅間軸。)

(本城)軽井沢風越学園では、ライブラリーが大きな一つの特徴となる空間ですが、それ以外に、これまでの学校や学びの場所と違う、特徴となるところはどこでしょう?

ライブラリーと特別教室を1階に

(宇佐美)普通教室が2階にあることですね。

(仙田)普通教室が2階にあって特別教室がまとめて1階にあるのは、ふつう逆だよね。軽井沢風越学園は、校舎の1階をくるくるっとまわるだけで、この学校の全容みたいなものがすぐ理解できるというかな。多くの学校は、理科室や図工室がどこにあるかはパッとわかんないですよね。教室はわかりやすい。ここではそれが逆転していて、子どもたちにとっておもしろがる要素になるんじゃないかな。ここで実験したいな、ここで本を読みたいな、ここで歌いたいという空間が、1階のあちこちに散らばってるのがいいんじゃないかなと思う。

(校舎1階の図面。赤い矢印が玄関)

(宇佐美)その設計がどういう展開を生むかはまだ言語化できないけれど、おもしろくなるんじゃないかと思っています。自分の固定された居場所が校舎内にあまりなく、集まって学習するためのメインの空間は2階にあるため、1階と2階への行き来が頻繁に生まれるはずです。かつ、スロープを通じて2階とライブラリーが繋がっていることで、子どもがじわっと校舎全体に拡がっていくのでは。経年で、ものが増えていくはずの学校なので、空間の情報量が年々増えていくのかなと思います。
建物の中に入ったときに、「おお、すげー!なんだこれ!」っていう空間があります。僕も、そうした空間で鳥肌立った経験が何度かあって、そんなふうに空間が人を刺激することを信じているんです。そういう校舎になるように目指しつつ、でもこだわりすぎないように気をつけています。

(事務局)開校したあと、子どもたちやスタッフにこんなふうに校舎を使ってほしいなということは何かありますか?

(仙田)本城さんの思いとはちょっと違うと思うけれど、僕はできるだけ子どもたちが汚してほしいなと(笑)。

(本城)いやいや、汚してもいいけど、片付けてほしいです(笑)。汚してほしいというのは?

(仙田)空間としては、先輩たちの手垢が色々あるほうがいいんじゃないかなぁ。

(本城)その壁をそんなふうに使わないで、とかないんですか?

(宇佐美)ないですね。設計した幼稚園や保育園を開園後に見に行くと、だいたい予想してもないことが起きてる。本来はそこまで見越して設計をしなきゃいけないんだろうけど。子どもがつくる情報でうもれていくというのは、建物にとって幸せなんじゃないかな。建物は、そういうおおらかさを持っているほうが良いと思うんです。

(仙田)できるだけ、あれしちゃいけないこれしちゃいけないじゃなくて、子どもたちが自由にのびのびと使ってテリトリーをつくれるといいですね。子どもの空間には3つの原空間があって、そのひとつがアナーキーな空間。少し混乱しているような場所、僕はアトリエとか実験場、工事現場とか好きなんだけど、想像力を刺激するにはそんなふうに混沌としてるほうがいいという感じがあります。

既存の学校像を崩しながらつくるプロセス

(本城)軽井沢風越学園の校舎にタイトルつけるとしたらなんでしょう?

(仙田)子どもたちが遊び・学びながら成長できるように、「子どもの意欲を喚起する空間の原理=遊環構造(*脚注)」をもとに設計しましたが、タイトルをつけるとなると、なかなか難しいね。従来の学校とは、とても違うよね。

(宇佐美)コンセプトはまだ一言では言えませんね。だいたい聞かれるんですけど。本当はまとめなきゃいけないんだけど、これまであんまりまとめずにきたっていう。

(左が仙田氏、右が宇佐美氏)

(仙田)学校だから多様性が必要で。国際教養大学図書館の「ブックコロシアム」みたいに、一言では言えないっていうのはあるかな。

(本城)ミーティングの中で、僕らにもしみついていたり、皆さんにもしみついている学校像や学び像をいかに崩していくかっていうやりとりは、けっこう頻繁にありましたね。

(宇佐美)それはありましたね。そしてそれを崩していくのに時間がかかった。崩したくてやってるわけじゃないんでしょうけど。
最初はいわゆる学校っぽいかたちも提案しました。最初から変な形で提案しちゃうと議論できなくなってしまうかなというのがあって。

(仙田)設計の仕方として、今回みたいにクライアントと一緒に協議しながら何案もつくって設計を変遷させていくというやりかたは、はっきりいって稀なんです。最近はプロポーザルがメインで、仕様にあわせて我々が考えているアイデアを、ぶつける。今回は、白紙から一緒に積み上げていった共同作品です。ところが、コンペで決められた建物は、なかなか共同作品にはならないんですよ。最初のイメージを出して、選ぶか選ばれないか。選ばれると、その提案にどうしても拘泥するから、そこから大きくは変わらない。一からつくれることは望みなんだけど、そのチャンスはほとんどありません。

(図面や模型を前に何度も打ち合わせを重ねた)

(本城)最初に連絡した10月から2ヶ月後の12月のときの仙田さんの書いたコンセプトシートを見ると、そのとおりだなって。「こどもが未来をつくる。こどもが感性を豊かにするには森が必要だ。挑戦する山が必要だ。友情を育てる橋が必要だ。」これを読んで、岩瀬と僕は、僕らの思いは伝わってるな、という安心感を持ってスタートできましたね。

(仙田氏自筆のコンセプト)

(仙田)共通の思いをベースにして、ここまでやってきましたね。今回、宇佐美が非常にがんばったのは、基本設計の段階で1/50の模型をつくったんです。普通はなかなかね、これだけの規模のものでそんなことはしない。通常、途中でつくるのは、1/200とかの大きさのもので、設計が終わって工事が始まるタイミングで1/50の模型をつくるのが普通なんです。でも、人の顔が入るくらいの1/50をつくると、クライアントとか関係者の皆さんによりわかるから。図面だけだとなかなか理解できないところも、模型があることでイメージが膨らみますね。

(事務局)今回、宇佐美さんが一番ご苦労なさった点はどんなことですか?

(宇佐美)ー番は条件整理ですね。いまだにそれをやってるという…。何もわからないところから始まったので、ヒントは情景でした。通常の設計は、仕様書みたいなものがあって、そこから始まることが多いんですけど、今回はそういうものがなかったので。

(本城)情景は、ヒントになりましたか?

(宇佐美)ヒントになってますね。たぶん情景も建築設計の影響を受けて変化しているのが読み取れるところもあって、おもしろかったです。今までもこれからも、こんな設計プロセスを経験することは、たぶんないと思うんです。設計の時は、なるべく、こうじゃなきゃいけないっていうのはないと思うようにしています。これから工事が進んでいくと、どこかのタイミングでまた変更があるかもしれないですね。いつどんなふうに舵をきられてもいいように心づもりをしています。

(情景に描いた仙田氏のスケッチ)

(おわりに)
10月末に予定通り造成工事を終え、11月1日に地鎮祭を執り行いました。いよいよ建築工事がスタートしました。仙田さんと宇佐美さんからは、しきりにまだどうなっていくかわからないですね、という言葉がありました。校舎の完成までに、これからどんな変化、そして進化があるでしょうか。

 

脚注
*『子どもを育む環境、蝕む環境』の本に詳しい。

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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